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小説こそ事実に迫ることができる

大人にも小説読書をお勧めする理由

その④

あまり大っぴらにすべきことではないかもしれませんが、

ある講演会での作家さんの言葉がとても心に残っています。

その言葉を聞けただけで、この講演会に参加した甲斐があったと思いました。

 

それは

「エッセー(体験談)よりむしろ小説の方が事実に迫ることができる」という言葉

 

エッセーでは書くことができない事実でも、小説であればフィクションであると逃げることが出来る。

 

現実社会において、本当のことであるが故に明らかにできないこともたくさんあります。

 

ある権力にとって都合の悪いこと、ある団体にとって都合の悪いこと、ある立場の人にとって都合の悪いこと。

 

エッセーとして書いてしまうと、相手に不利益を与えてしまうことがあります。

 

でも、そのことが後々明らかになり、新たな事件や事故に発展して、小説でフィクションとして描かれていたことが真実だったのだと分かることもあります。

 

予め知っていれば、事前に危険を避けたり、対策を講じることができるかもしれません。

 

知らなければ自分が不利益を被ることや、知らないために他人に不利益を被らせてしまうこともあるかもしれません。

 

「無知は罪」という言葉もあります。

 

小説ですから話はフィクションでも、その中に「真実」を描かれていることも多いのです。

 

それは読んでいれば「もしかしてこれってあれのこと?」とピンとくるものがあります。

 

小説だからこそ迫れる真実

 

例えば東野圭吾さんの「天空の蜂」この小説が書かれたのは今から20年以上も前のこと。

 

当時「原子力発電」は一般的に火力発電に比べて、クリーンで安全で省エネ、良い事ずくめだと思われていました。

 

反対運動もありましたが少数派で、「なぜ??」と思う方も多かったと思います。

 

この小説の中では「原子力発電所」内部の構造のことにも触れられ、原発の危険性についてとてもよく描かれています。

 

のちのち東日本大震災での原発事故で明らかになった原発の危険性について、小説の中で触れられていました。

 

とてもよく取材して書かれている小説だと思いました。

 

他にも実在の企業や人物などをよく取材して書かれている小説がたくさんあります。

 

小説ですからフィクションも含まれているのですが、問題はそこではなく、

 

わざわざエッセーではなく、小説という形態にしてまで描きたかったことは何だろう?

 

このことが明るみになって困るのはどんな立場の人?

 

など、ぜひ楽しみながら、小説を通してまだ明らかにされていない真実を勉強してみて下さい。

 

とても良い社会勉強になると思います。